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警察OB・元政治家秘書の社会評論家│渋井治雄が時事問題を語る

官邸主導の弊害には目に余るものが多くなりましたね

何でもそうだが、物事には程々が一番で、極端なことをやると必ず、その弊害が出るものなのです。政治主導、つまり官邸主導は耳障りが良いが、官僚の人事権まで全て握るのは、やり過ぎだと思いますね。私は警察官でしたから、警察の偉い人の最近の人事にも、やはり、あれっ、と思うものがあります。末端の警察官でしたから、警察の偉い人の人事など、本当は、どうでもいいのですが、でも、警視総監が最近は軽く扱われているのでは、と感じます。明治維新後、西郷先生が、鹿児島士族二千名、他藩の士族千名の、計三千名で、明治七年に創設したのが警視庁なのです。天皇陛下の警察官でしたから、内務省に属し、内務次官、警保局長(今の警察庁長官)、警視総監が、内務省の三役だったのです。

ですから、戦後も、その歴史と伝統がありましたから、警察庁長官と警視総監は、大体、年次が同格だったのです。それが、今では官邸主導が原因なのかどうかは、よくわかりませんが、警視総監が、警察庁次長や官房長より格下で、県警本部長並みの扱いなのですから、歴代警視総監が怒り出すのも当然なのかも知れません。

階級的にも、警察庁長官は別として、警察庁次長は警視監なのですから、警視総監の下にあるべき立場なのではないでしょうか。それが今では、警視総監は、本部長会議でも、ひな壇に座っていらっしゃらないとか。それなら、警視庁も警視総監も、東京都警察本部、警視監と名称を変えなければ、不自然なことになります。

官僚の世界も、ある程度は、人事も含めて官僚に任せるべきであって、生臭い政治家が一々、口を挟むべきものではないはずです。米国占領下でも、面従腹背の狡猾さを失わずに、日本国民の暮らしを守ってきたのが、日本の優秀な官僚だったのです。それが、国家、国民を見ずに、官邸ばかりに気を使うようになるから、森そば、だ、加計そばになり、狐そばや、狸そば、ばかりが、巷に跋扈するようになってしまったのです。

国民としても、蕎麦は、腹持ちが悪いので、たまには、まともな、うどんにでもしてもらいたいと思っているのです。

どんな立場の人でも、偉い人は、常に国民大衆の立場で、物事を進めてもらいたいものです。

そうでなければ、私は、いつまでも、痛快不良警察官を、やらなければならなくなるのですから。

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