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警察OB・元政治家秘書の社会評論家│渋井治雄が時事問題を語る

棺桶の片棒は、俺が出て担ぐから心配するな、ケチもここまで来れば立派なものです

世の中にはケチな人も大勢いるが、私の知っている人でケチに徹底した立派な人が居られました。その方は、男性でしたが、拾った広告を見て、たとえ、どんなに遠くであっても醤油が5円安いと、何時間かかろうとも、その醤油を歩いて買いに行くのですから立派なものでした。せめて自転車で買いに行けばと話すと、遠いと自転車のタイヤが減ると言って、自転車は使いませんでしたね。

また、洗濯で使った水も、直ぐには捨てずにドラム缶に溜めておいて、夏の暑い日には、その水を撒いて暑さ対策をしていました。そんなある日、電気を全部切っているのに電気メーターが回っているのは、漏電だと騒ぎ出し、東京電力に苦情を入れ調査をしてもらったところ、何の事は無く、冷蔵庫の電気が入っているのを忘れていたとのことでした。それと、煙草が好きで、よく吸っていたのですが、勿論、煙草など買うはずも無く、吸いかけの拾った煙草を集めては、それを吸っていましたね。
定年後は、会社の守衛をしていたのですが、夜勤明けには必ずトイレットへーパーを3個、お土産だと言って家に持ち帰っていました。デパートに行っても、いつも何も買わずに試食コーナーを全部回り、今日は一食助かったと喜んでいました。

そんな、実際にあった本当の話(あえて重複させて)も面白いのですが、落語でも面白いケチな話がありますね。

それは、父親が息子に、自分が死んだ時の葬式の落語でした。

「いいか、葬式なんかに金などかけるなよ、俺が死んだら、坊主なんか呼んで葬儀などせずに、黙って俺を埋めるだけでいいんだ。」

「でも、親父、親父の死体を棺桶に入れて運ぶには、俺一人では無理だよ、せめて、もう一人、棺桶を担ぐ人が居なければ無理だよ。」
「それもそうだな、でも心配するな、そしたら俺が棺桶から出て、後ろを担ぐから。」

確かに、今の世の中、金が無いせいか、葬儀も家族葬ばかりで商売にならないと葬儀屋さんも嘆いていましたね。

まして、死んだ人に棺桶を担がれては、葬儀屋さんも、それこそどうにもなりません。

多くの大衆も生活が苦しい中、家族が死んだからといって、一々、泣いてる暇は無いと思いますね。私だって、死んだら自分で棺桶を担ぐと家族に言いますよ。明るく楽しい葬儀を一度位は、してみたいものです。これなら、自殺などする人も居なくなるはずです。

何しろ、自分の棺桶は、自分で担がなければならないのですから。徹底したケチも世の中を明るくするものなのです。

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