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警察OB・元政治家秘書の社会評論家│渋井治雄が時事問題を語る

負けることの喜びがわかるようになれば本物の男なのですが、それにはやはり長い苦労が必要ですね

勝負は、勝つ者と、負ける者の両者があってこそ存在するもの、本来なら誰もが勝者となるのが一番いいのでしょうが、それでは勝負事ではなくなってしまう。

世の中とは厳しいもので、何でもそうだが、負けると全てを失うことになりかねず、誰も相手にしてくれなくなるばかりか、「水に落ちた犬には石まで投げつける」が現実となり、そして、それが日常茶飯事となるから怖ろしい。中には、負けることは死を意味すると思い込む、真面目な人も出てくる。

勝負の世界に生きている人は、毎日そんなことばかりを考えているのであろう。しかし、所詮、誰でも血の通っている人間のはずである。義理と情の世界は、そんな、強ければいい、勝てばいいとの世界ではないはずである。

正直、長く苦労しながらの人生を生きていると、その、場面、場面で、この人には勝ちたくはない、できることなら、わざと負けたとは悟られずに、この人に勝ちを譲って差し上げたいと思う場面が、多々あるものなのです。この時の負けの喜びを知ったときの感慨は、又、格別なものなのです。

私は、そんな負けることの喜びを子供の時から味わっていますから、負けることの大切さも知っています。自分ことが第一などと、情けないことばかり考えているから、卑怯なことまでをしても、勝とうとするのです。

勝って、喜ぶことなどは誰でも出来るのですから、本当は、つまらないことなのです。自分が負けても、相手が喜ぶのですから、こんな素晴らしいことはありません。逆に、そんな男の中の男が、まだ、日本に居たのかと拍手喝采を浴びるはずです。

それを思うと、今回の日大側でのタックルの問題では、タックルを正直に話した学生さんだけが、男の中の男で、日大の監督、コーチは、あまり人生で苦労をされていないのか、情けない会見ばかりでしたね。

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