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警察OB・元政治家秘書の社会評論家│渋井治雄が時事問題を語る

民意無視、辺野古の海への土砂投入、三派全学連健在ならば流血闘争になりましたね

私も昭和42年から三派全学連(̪社学同・革共同中核派・社青同)とは対峙してきましたが、あの頃は、敵ながら三派全学連は強かったですね。学生自らが、井戸の呼び水になるとの先駆性理論、常に街頭闘争の先頭に立って、革命の主体である労働者、農民の決起を促すとの闘争方針は一貫していました。

それに比べ、革命の主体は、革共同革マル派自身であるとの転換理論を唱え、街頭闘争は勢力を衰退させるのみ、まずは、革マル党の建設が優先との革マル派の姿勢は、三派全学連には嫌われていましたね。 しかし、街頭闘争に出てこないので、女革マルと揶揄されていても、同じ革共同の中核派との内ゲバには凄まじいものがありました。

最盛期には、機動隊より圧倒的に三派全学連の方が多かったのですから、治安警備も命がけでした。70年安保闘争が終わり、三派全学連の組織的な最後の戦いは成田闘争だったと思います。この戦いも長い戦いで、昭和42年から昭和53年の11年間続いたのですが、悔しいことに警察官も4人殺されました。しかし、辺野古の基地建設と大きく違うところは、成田の空港建設は千葉県知事が賛成している位ですから、民意は必ずしも空港建設反対ではなかったのです。

それが、沖縄の県知事は、辺野古基地建設は認めずで当選しているのですから、これは明確な民意なのです。しかし、現実は、73年経っても、日本は敗戦国のままで、日本国憲法より日米地位協定の方が上位にあるのですから、日本国政府が米国の意向に逆らえるわけがありません。ですから、政府には沖縄の民意をどうすることも出来ないのです。

それでも、たとえ敵だったとは云え、三派全学連健在ならば、間違いなく沖縄では流血闘争になっていたはずです。米国や日本国政府にとって幸いなのは、今の日本の学生さんの多くは、政治に無関心で、仮に暴れたとしても、渋谷のハロウィンで車を横転させる程度なのですから可愛いものです。だからと言って、普通の家庭生活を送られている、多くの真面目な沖縄県民の皆さんに、火炎瓶など投げられるわけがありません。

米国も日本国政府の皆さんも、いい時代になって、本当に良かったと内心では喜んでいるはずです。

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